Todoの独り言です。
最近はブログに書き込むことの方が多いのですが。。。。、

透明人間

2004/07/03

「透明人間の告白」という本を読みました。
透明人間というと、スーパーマン的な活躍を期待される向きもあるでしょうが、この本は違います。むしろ「透明人間の困惑」とでも言った方が良いような内容です。透明人間になったら如何に日常生活が困難かを切々と(笑)書き込んであります。ところで、実はこの本でも書いてないような問題があります。恐らく著者は気づいているのでしょうが、それを書いちゃうと物語にならないので。。。

透明であるということはどういうことでしょうか?
簡単に言えば光の透過率が100%であると言えます。しかし、水やガラスは透明でも見えますよね。つまり、物が見えないためには、透明以外にもう一つ重要な要素があるわけです。それは屈折率。
光は密度の違う物質の境界で折れ曲がる性格を持っています。良く教科書には川底が浅く見えるとか、水に突っ込んだ棒が折れ曲がって見えるといった例が書かれています。

透明なガラス板があったとします。手前よりも向こうが明るく、ガラスに対して直角に立った場合には屈折率は影響を及ぼさず、ガラスはほとんど見えません。時にはガラスがあることが判らず、人がぶつかったりもします。しかし、ガラスの置物は、それがどんなに透明度が高く、汚れが無かったとしても、その存在には気がつきます。立体の場合、光が色々な角度で当たり、その中には非常に浅い角度でガラス表面に当たるものもあるので、そこで屈折や反射などの現象が起こるためです。
そうなると、本当に誰からも見えない透明人間というのは、空気と同じ屈折率を持っていることになります。(実はこの本の後半にそういう説明も出てきます)

さて、ここで大きな問題が生じます。
屈折現象のもっとも有効利用している物、ガラスと空気の屈折率の違いを生かして、光を一点に集中させる機能を持ったものがレンズです。
人間も同じ物を持っていますよね。眼の水晶体。ところが透明人間は屈折率が空気と同じですから、水晶体が有っても光が集中できない。すなわち、透明人間=目の不自由な人となるわけで。。。。。
まあ、そんな意地悪も考えながら。。。(笑)でも、本は本で充分楽しめました。