Todoの独り言です。
最近はブログに書き込むことの方が多いのですが。。。。、

藝術論

2005/08/06

ある本を読みながらこんな事を考えました。

私はキュビズムやシュールレアリズムあるいは抽象派の絵画は苦手です。そこに描かれる物が日常から逸脱した世界であることから、何故そのような物が描かれ無ければならないかを考え理解しようとし、疲れてしまうのです。その点、風景画や人物画といったものは安心して見られます。

もっとも、そうした具象画にも様々な描かれ方があります。細緻を極めたもの、思いっきりデフォルメしたもの。髪の毛の如く細い線で描かれるもの、印象派のような大きな点描で描かれるもの。描き方は色々です。
そのような様々な技法が存在するということは、具象画の価値が単なる写実力では無いことを示しています。具象画においても、結局その絵画の価値は、その絵を見たときに作者の精神性が如何に見る人に伝わるか、共感が得られるかによって決まるようです。
先日美術館で見た鯉の日本画。くびれるべき尾の手前はずん胴だし、うろこは菱形だし、写実的には相当変です。でもそこには静謐さとか清々しさが溢れ、見るものをホッとさせる力がありました。

そう考えれば、抽象画も理性あるいは理論で理解しようとすること無く、有るがままを受け入れて、そこから自分が何かを感じ取れれば良いのだと思います。もっともそれが私に出来るのかどうかは別なのですが。

最初に書いたある本とは川上弘美さんの「蛇を踏む」です。
最初は途惑いました。「このごろずいぶんよく消える」それが文学的な表現ではなく、実際に人や物が消えてなくなる世界。それが川上さんの世界です。あるいは寓話かとも思いました。しかし、どう読んでもそこに寓話性は有りそうも無いのです。

この作品は川上さん自身あとがきで「うそばなし」と呼んでいるように、全編シュールな空想の世界です。単にそういうものを描きたかった。そしてそれを読者に伝えることで、何かを伝えてみたかった。そういうお話です。
読み進むむうちに、そこに気付き、最初の戸惑いは薄れ、この世界を受け入れてしまえば良いのだと思えるようになりました。そう思えば、それなりに興味深い感性ですし、表現力も見事で、それなりに楽しめました。