Todoの独り言です。
最近はブログに書き込むことの方が多いのですが。。。。、

一つの川上弘美論

2006/08/05

川上さんの「ありがとう」という短編集を読みました。

この中の「天上大風」はどこか「センセイの鞄」と同じ雰囲気を持つ作品でした。
夫から「別れてくれ」と言われる主人公は論理的思考の持ち主ですが”定見”が持てない。一方、夫は巌の如き定見の持ち主と言う設定です。

論理的思考を突き詰めて行けば”かく有らねばならない”という結論が出て来るはずです。つまり"論理的思考"と"定見"は正の相関を持つと考えるのが一般的でしょう。しかし、この主人公は様々な状況を想像しながら、次々に枝分かれする論理思考を組み上げた挙句、一つの結論に至ることが出来ず「めんどくせえ」となってしまうのです。多分、思考を続けるうちに時間がたってしまい、熱が冷めるという状況もあるのだと思います。
一方、世の中には非論理的な定見と言うものも数多く存在します。理由も無く"~~でなければならない"と主張する人々です。"何故?"と聞けば、"それが普通よ"とか"常識"なんて返答しか帰せない人達です。
どちらも正の相関を持つべき"論理的思考"と"定見"の関係から外れた人達です。

論理的だが定見が無い人、これは川上さんなのかもしれません。エッセイなど読むと確信を得られると思うのですが、私は(以前、ある作家さんにの人間性に失望した経験があるので)作家さんのエッセイは読まないことにしているので、よく分かりませんけど。ただ、川上さんのすべての物語で感じる独特なゆったり流れる感覚や、「蛇を踏む」の様な不思議な物語は、そうしたところから出て来るのではないかと推測するのです。

"論理的だが定見を持てない人"と"論理も無く定見を持つ人"どちらもちょっと"困った人達"だと思います。でも、前者の方がはるかに可愛げがあると思えるのは、私が多分にそういう傾向にあるせいかも知れません。