Todoの独り言です。
最近はブログに書き込むことの方が多いのですが。。。。、

入院日記

2009/03/08

2月26日(治療日)

予定通り11時に入院。
大部屋でお願いしてたのに、病院側の連絡ミスで個室に通されて驚く。
その後、少しドタバタしましたが、結局病院側の都合で「無料で良いですから、今日だけは」と言われ個室に落ち着く。ラッキー。
その後、担当の看護婦さんから治療前後の処置の詳しい説明があった。
予定では2番目。早ければ13:45開始になるだろうとのこと。

若い女性が病室を訪れ、色々と病状を聞かれる。お医者さん?看護婦さん?麻酔医?
最後に主治医が現れ、先の女性は医者さんと判明。

当然ながら昼食は抜きです。
13:30 点滴開始。と言っても、カテーテル処置中に必要な薬剤を注入するための管をつけておくことが目的で、この時点で入れられているのはただの生理食塩水らしい。

何度も看護婦さんが現れて「前のが長引いてる」とか「緊急が入った」とか。まあ、待つしかありません。

16:00前 「呼び出しがかかりました」との看護婦さんの声。安定剤を飲んで車椅子で検査室に移動。
検査室の印象はというと、廻りに棚があったり、天井にレールがあって、そこからレントゲン機械が吊り下げられたりしていて、ちょっと倉庫風(笑)。入り口の反対側はスタジオのモニター室風になっていて、その中にも何人かのスタッフがいるようです(どうもレントゲン技師さんらしかった)。
中央の胸くらいの高さのある、妙に幅の狭いベッドに、脚立風の足場を使って這い上がります。仰向けに寝たら、手をセットされ、腰の辺りを中心になにやら色々乗せられて(X線避けの様でした)、いよいよ「まな板の上の鯉」です。


治療開始。
最初は右手首に局所麻酔。何発も打ってたみたいですが(手首部分はカーテンで見えません)一発目の注射が痛いですね。
その後「痛いよ!」の主治医の声のあと、なにやらグサッと刺さった感じ。どうやら血管に太く短い注射針のようなものを刺したようです。そしてその針の中をカテーテルが通って行ったのでは無いかと思います。

局所麻酔ですから意識ははっきりしています。ですからカテーテルがどの当たりを通っているのか感じ取ろうと思うのですが、まったく判りません。血管の中には神経は無いのでしょうね。何だかわかんないうちに心臓まで達していたようです。


「やっぱりかなり詰まってるね」なんていわれた後で、主治医の「奥さん呼んで!」の声。
どうやら家内がモニター室に呼ばれレントゲンを見せられながら病状の説明を受けたあと、治療にかかることに合意する場のようです(それまでは検査という位置づけ)。

「それでは治療に入ります」
どうやらカテーテルを検査用から治療用に差し替えています。しかし、主治医が「あれぇ」と言うのと同時ぐらいに二の腕部分に鈍痛が。「痛い?」と聞かれて「ええ」なんて言ってると、「入らないな」とか「ニトロ」とか色んな声が聞こえてきます。どうやらカテーテルに反応して血管が収縮してしまった様子。最後に主治医が「左しかないな」と。

そんな訳で、治療用のカテーテルは、今度は左手首から挿入です。
同じように麻酔を打たれ(一発目が痛い)、さらに「痛いよ!」でグサッ。まあ良いです、どっちも一瞬ですから。。。

今度は上手く心臓まで届いたようです。
やがて「3.2の30かな」「そんなもんですね」なんて会話が聞こえます。どうやら血管内に残しておくステントという金属メッシュのサイズを決めてるようです。「じゃあ取ってきて」ってなにやら足元でゴソゴソやってるなと思ったら、次は「10気圧?」「そうですね」「じゃあ、行こう」「2,4,6,8,10、ハイ」って。これはどうやらカテーテル先端で風船を膨らませているようすです。
結局ステントを二本入れて完了。
「綺麗に広がったよ」と主治医が私に話しかけます。

さて最後の処置は、「これがね、結構大変」と言いながら、差した針を抜く作業です。
動脈ですから、最後に「縫ったりするのかな」なんて思っていたのですが、なんと圧迫止血なんですね。針を抜くと同時にガーゼをガチガチに固めたような止血パッドが押し当てられ、それを包帯ほどの幅広テープで巻き締めて、さらにプラスチック製の止め具がついた2cm幅ほどの青い布ベルトで締め上げます。これが結構痛い。しかも両手首ですからね。
何故か花粉症症状が出て、くしゃみ。思わず手で口を覆おうとしたら「動くな!」と叱られます。 「くしゃみなんかそのままやれ。どうせ唾が散っても自分の顔の上よ。」と口の悪い主治医です。
ここまででかかった時間は2時間弱でした。


再び車椅子に乗って退場。
病室に帰る前に、途中の部屋に呼び止められ、家内と私に医者が経過説明。もっとも私は強烈な花粉症症状が出て、それどころじゃなかったけれど。
治療前後のレントゲン写真の紙コピーを貰いました。なるほど、髪の毛ほどの太さしかなかった血管が見事に元の大きさに戻っています。と、同時に、これまで見えなかった支線というべき血管にもちゃんと血が流れています。
一目で「直った!」という実感の湧く写真でした。


さて病室に戻って、1時間ほど安静にしているようにと言われベッドに寝転びます。左からは点滴。右からは心電図の電極がついた状態です。
その後、夕食。本来なら、左手は自由なので何とか一人で食べられるのですが、私の場合両手首。家内に食べさせてもらいます。もっとも手首の角度さえ変えなきゃ良いので、無理すれば食べられないことは無いのですが。

その後、面会時間終了の8時まで付き合ってくれた家内も帰宅。検査室に入る前に飲んだ安定剤が効いているのか妙に眠い。それでウトウトするのですが、それにしても緊縛された両手首が痛い。血の流れが止まっているほどでは無いのですが、若干手先が腫れているようです。看護婦さんが1-2時間おきに廻ってきて様子を見てくれますが、緩めるほどではないという判断のようです。24時ごろ一番上の止め具のついた布ベルトを外す予定でしたが、最後の2時間ぐらいは早く時間にならないか、しょっちゅう時計ばかり見ていました。

24時前、ようやく布ベルトを外して貰えました。これで痛みは随分減りました。でもその下のテープもかなりきつく貼り付けてあり、完全に楽になったわけではありません。

後は朝まで、ウトウトと。1時間おきくらいには目が覚めますが、もともと寝床が変わると寝られない性質なので仕方ないですね。電極につながれた状態なのでトイレにはいけません。痛い手首を動かさないように自分で尿瓶に排尿。まあ尿管カテーテルにつなげられて無いだけましです。

2月27日

明け方に手首の止血パッドをはずして貰い、救急絆創膏に変えます。ようやく痛みが薄らいできます。しかし、カテーテルが引っかかった右の二の腕は、看護婦さんも少し腫れているようだと言いますし、妙な痛みがあります。
暫くして抗生剤の点滴。終了後に点滴と電極をはずして貰い、これで自由に動けるようになりました。

朝食。ふわふわのコッペパン2つにサラダ、牛乳、バナナ。思ったより美味しいし、量もあります。

食後、手首の痛みは有るものの、もう寝てるのがおかしい位元気です。
暫くしたら看護婦さんが来て「部屋を移動しましょう」と。仕方ないですね。元々の予定の4人部屋に移動します。

昼食後、家内が来ます。病室でしゃべるのも気を使うので、病棟の端にある食堂に移動。自販機で買ったコーヒーを飲みながら暫く話をしました。
どこが悪いと言うわけでも無いのですが、ボンヤリと過ごします。何となく本を読む元気も無いし、テレビもさほど。何か集中力に欠けるというか。。。

夕食もまずまず。
10時就寝。夜中に何度か目は覚めますが、それでも寝たほうでしょう。

2月28日-3月2日

実はもう書くことも無いのです。
何か有ってはいけない(治療後、血栓が出来たりすることもあるらしい)から拘束されているだけで、点滴や注射などの治療があるわけでもなく、看護婦さんも熱と血圧を測るくらいで「その後、異常は無いですね」で帰ってしまいます。

ですから、その後の2日間についてはトピックのみ。
1)部下がお見舞いに来てくれました。丁度、暇に任せてPCで仕事をしてたところを見られてしまいました。
2)何か思わせぶりな白衣の女性が現れ「判る?」なんて言うのです。なんと小学校時代の同級生でした。この病棟の薬剤師をしているとのこと。私の名前を見て気付き(一種の珍名です)挨拶がてら顔を出して呉れたようです。何せおよそ40年ぶりですからね、まったくわかりませんでした。

本について言えば、余り読めませんでした。
最大一日2冊と思ってたのですがね。結局病院で読んだのは
◆「ラスト・イニング」あさのあつこ;「バッテリー」のサイドストーリー
◆「日曜日の夕刊」重松清;家族を主題の短編集。再読
◆「イワン・デニーソヴィチの一日」ソルジェニーツイン;旧ソ連時代のラーゲリーの話。再読
の三冊でした。
始めは「にぎやかな湾に背負われた船」小野正嗣を読んでいたのですが、これが難物で。やっぱり病院の大部屋で読むのは短篇ぐらいが良いようです。