Todoの独り言です。
最近はブログに書き込むことの方が多いのですが。。。。、

ペースメーカー手術

2011/08/12

発症 (4月後半~5月連休中)

家内とウォーキング中、突然気分が悪くなる。
立ち眩み(脳貧血)を起こしたのような気分。足が前に進まず、ペースダウンして歩く。

慢性化 (5月連休後1週間)

通勤時、500mほど歩くと軽い立ち眩み症状があらわれ、ペースダウンするしかなくなる。特に問題は階段。橋上駅の長い階段を上ると、頭がグラグラする。会社前の地下道を登ると、足が前に出なくなる。しばらくジッとしていると収まる。
症状が出るタイミングは、一昨年2月の狭心症の発作とほとんど同じ。ただし、狭心症が胸部中央の掻き毟るような痛みだったのに対し、今回は立ち眩み(+胃上部の圧迫感)で症状は全く違う。

病院へ (5月14日)

どうも気になるので、狭心症の予後ケアで月に一度通っているNクリニックで診てもらう。心電図、胸部レントゲン検査で特に異常は見られずとのことで一安心。胃上部の圧迫感から逆流性食道炎の疑いもあるとのことで、胃薬を変更してもらう。

でも。。。。(5月15日)

昨日の診断に少し安心して、体を動かしてみようと一日中庭の手入れ。
しかしやはり動くと辛い。しゃがんだ姿勢から立ち上がると、本当に立ち眩み症状が出て倒れそうになる。

悪化 (5月16日)

出勤。通勤時の症状はいつも通りか、やや軽めだったが、事務所近くで一気に悪化。
席には着いたものの立ち眩みが怖くて立ち上がれない。座っていても、頭がクラクラする。脈をとってみると随分飛んでいるのが判る。
上司に言って退社し、病院に行くことにする。
駅までの移動には部下の女性が付き合ってくれる。最寄駅には家内の迎えを頼む。

いったん帰宅。休憩後、再びNクリニックに行く。
階段登りなど心臓に負荷が掛かった時に、脈が飛ぶ不整脈が起こっていることを伝える。
再び心電図をとるが特に異常なし。ホルター式心電図計(携帯式心電図)を装着し、24時間の心電図を調べることになった。

帰宅後、ホルター式心電図計を調べてたら、リアルタイムに波形を画面表示するボタンがあることに気付く。
「やってみようか」と、家の階段を登る。ちょっとクラッとする。降りる。登る。来た! 画面表示を見ると、見事に脈が飛んでます。心拍数の表示は32回/分なんて事になっている。本当の原因は判らないけど、少なくとも立ち眩み症状はこの脈の飛びで起きていることは確かなようです

検査 (5月17日)

朝、病院に行く前に、もう一度同じ症状が出ることを確認するために、外を歩いてみる。
家から100m。団地に上がる2mほどの階段で立ち眩み。さらに300mほどのところにある小さな公園に上がる3m位の坂。ここで強烈に来ました。本気で倒れそうになって、思わずベンチに座り込みます。それ以上歩く元気も無く、注意しながらゆっくり家に帰ります。
お昼前に、家内と二人で電車でNクリニックに行きます。電停まで200mほど(平地)。電停手前で軽く立ち眩み。家内に心電図の波形を見せます。

Nクリニックでホルター心電図計を取り外す。コンピューターに読み込ませて解析する(おそらく外注でしょうね)のだそうで、その結果が出るのは明日という事らしい。
「明日の朝、来てください。おそらくH総合病院への紹介状を書く事になるでしょう」とのことで、特に何かの治療を受けることなく、家に帰る。

検査2 (5月18日)

打ち出された分厚い心電図を元に先生から所見を聴く。最大4秒弱、脈が飛んでいるところがある(上の階段や坂です)一方、夜間などの安静時には不整脈は見られない。
狭心症の再発の可能性もあるとのことで、シール状の血管拡張剤を胸に貼り付ける。詳しい診察をH総合病院で受けるべきとのことで、以前狭心症のステント治療でお世話になったF先生への紹介状をもらう。明日11時に予約してあるとのこと

検査3 (5月19日)

久しぶりにH総合病院に。診察前に採血(血液検査)、心電図の検査の指示。
その後、F先生の診察室へ。「不整脈が出たんだって・・・」なんて言いながら、私が持って行ったNクリニックのホルター心電図を見た途端、口調が変わる。「ペースメーカーって言われなかった?」「運転禁止と言われなかった?」
今日取った心電図と2年前の心電図(電子カルテの効果ですね、すぐに昔の情報が出てくる)を見比べながら「高度房室ブロックだな」とのこと。
心臓上部の心房で発生した電気信号は心臓下部の心室に伝達され、連動して活動するのが正しい状態。しかし新旧の心電図を比較すると、通常時でも心房から心室への信号の伝達時間(P-Q)が伸びているのがわかるし、不整脈の時は心房の信号が心室に伝わらず、心室が動いていない状況。長い所で3.6秒の心停止が見られる。
それでも、狭心症の可能性もあるとのことで、F先生が電話をかけまくり、CT検査に無理やり割り込み、さらに追加の血液検査、再度のホルター心電図計の装着を指示される。
「明日、結果が出ます。奥さんも来てもらってください」とのこと。
血管拡張剤の副作用か、頭痛と低血圧(Maxで90位)に悩まされる

検査4 (5月20日)

心臓エコー検査を行った後、家内と二人でF先生の診察室に。
昨日のCTの結果、冠動脈は至って良い状態で、狭心症の可能性は無いとの事。逆に言えば、房室ブロックであることが確定し、ペースメーカーの埋め込みが必要との診断になった。二人で現在の症状や、埋め込み手術の危険性(感染症など)、手術後の生活などの説明を受ける。
手術室の都合で手術は5月27日に決定。それまでは自宅待機の指示。そこで家内がF先生に「どんどん悪化しているように思うが、来週末まで大丈夫か?」と質問をする。
「心停止が5秒を超えたら、緊急手術だが、そこまでは行ってないようだ。しかし心配だろうから・・」という事で、F先生が自分のPHSの番号を教えてくれる。また「月曜日に来てくいださい。そこでもう一度判断する。」との事。

午後から、息子に車で会社まで連れて行ってもらい、会社のPCを持ち出す。同時に上司に状況報告。
しかし、正門から事務所の間を歩くのがキツイ。ぎりぎりの感じ。
持って帰ったPCで 家から会社のイントラに入ってメール処理。

入院待ち (5月21日~5月25日)

21/22日 血管拡張剤を止めて頭痛が無くなり、血圧も戻る。家の中を移動するレベルなら大きな問題は無し。
23日 N総合病院に。もう一度心電図&心臓エコー。エコー検査は心臓そのものより、肩甲骨あたりでリード線を通す静脈を見ている。26日入院、27日手術に決定。
24-25日 入院中に読む本の確保。息子に図書館につれて行ってもらい、5冊借り出す。 家内に古本屋に連れて行ってもらい、数冊の文庫本の仕入れ。
心拍数が上がるとまた発作が出そうで怖いので、ひたすらゆっくりとした水平移動だけに限定。逆にその状況なら問題が無い。

入院 (5月26日)

昼食後、入院。4人部屋です。
看護士さんから
・治療計画書
・ペースメーカー手術のパンフ
・高額療養費制度
・障害者手帳の交付(ペースメーカー手術を受けると、一級障害者だそうです)
などについて説明を受ける

治療計画書によれば、入院日は心電図などの検査となっているのだが、看護士さんが一言「これらの検査は全て入院前に済んでいるそうですから・・・」
いやいや、それなら明日の入院でもいいじゃん。

夕方F先生が若い先生を連れて病室に
エコー検査器でリード線を通す鎖骨あたりの血管を探っている。

同室の三人はみな年寄り。しかし、カーテン越しに大きな声で話をしていてうるさい。
どうやら、そのうち二人はあさって退院の模様。それまでの辛抱か?
暇なので、しゃべり声に邪魔されながらも読書にふける。

普通に夕食を食べて10時消灯。しかしみなさんスゴイいびき。
看護婦さんが心配そうに「寝れますか?」と聞いてくる。まあ、最近寝つきは良いので、なんとかなるんじゃない

手術 (5月27日)

手術は午後の2番目。予定通り行けば2:30開始。しかし、しばしば急患が間に入ることがあり、遅れるのは覚悟しておいてくれと言われていた。
午前中に看護婦さんから2番目→3番目に変更(4時頃か?)になったとの連絡。
まあ、事が心臓なので緊急は仕方ないですね。

12時、準備開始。看護士さん(もちろん女性)に尿管カテーテルを挿入される。これは嫌ですね、恥ずかしいし、痛いし。手術そのものより気が滅入ります。さらに紙おむつをして、点滴開始。明日の朝まではトイレに行けません。小はカテーテルで、大は我慢ですね。おしめにはしたくない。
15時 F先生が来て「急患が入ってごめんね。」と一言言って去る。
16時 またF先生。「前の人が苦戦中。まだ1時間はかかりそうだよ。」と。手術室の空きを、受ける私も、手術する先生/看護士たちも待ってる状態のようです。

結局遅れること3時間半、18時にストレッチャーで運ばれて手術室に入りました。
手術室は天井からレントゲン装置がぶら下がり、周囲の棚にはいろんな機材が乗っていて、どこか一寸倉庫っぽい雰囲気があります。ストレッチャーから移された手術台の足元には6つのディスプレーがあって、私からも見れそうです。(←期待していた)
10人ばかりのメンバーが居ます。順次着替えしはじめます。まずは消毒された手袋をつけ、それで消毒された手術着を持って・・・。テレビなどでは別室で着替えるのですがね。でも、随分無菌状態に注意しているのが判ります。

頭にトンネル状のネットが被されました。ペースメーカーを埋め込む左胸部を出し、首から臍のあたりまで広範囲に消毒液が塗られます。その上で切開部以外を緑の布で覆い始めると、頭の部分にまで布が来て、トンネル状のネットを覆い隠します。これで息はできるけど、視界は全く閉ざされてしまいました。残念。何やってるのか見たかったのに。

まずは麻酔注射です。歯医者と一緒ですね。最初の一発は痛くて、その周りに打つ注射はだんだん痛みが小さくなります。
いよいよ執刀。いきなりF先生「あんたの皮膚固いな~、切れない。」などと言ってます。そんなこと言われても・・・。「いや、あんたが悪い訳じゃないが。」
「もう少し広げるか」「これで入るか?」「ちょっと小さいか」などと話合っているのが聞こえます。どうやらペースメーカーを埋め込むスペースを作成中のようです。引っ張られたり、押されたりという感覚は有りますが、痛みは有りません。
今度はどうもリード線を静脈の中に通しているようです。血管には神経が無いので、何も感じないのですが、一瞬胸がむかつく感じがしました。
そのうち、何やら数値の読み上げられました。どうも片方のリード線が思い通りの位置に行ってないようです。また、何やらゴソゴソしています。多分、リード線の位置を動かしているのでしょう。そのうちF先生「ちょっと替ってみよう」と若い先生にリード線を渡したようです。そのうち「折れました」なんて言ってます。「抜けるかい?」「大丈夫です」なんて。どうやら若い先生が無理してリード線を折っちゃたようです(苦笑)。
さらにゴソゴソ。数値が読み上げられ「最初の所が一番良かったな。」。どうやらリード線にはいろんなタイプがあるらしく「前のと同じやつ無い?」「無かったらもう一袋開いて」「これは先端の形だけが違うタイプです」「それで行ってみようか」なんてやり取りがあって、どうやら再び最初の位置あたりにリード線が到達したようです。「一寸低めだが、あとは機械の調整で・・」なんて声が聞こえます。
「1,2,3・・10」どうもリード線の先端(たぶん、コルク抜きみたいならせん状になっている)を心臓の筋肉の中に捻じ込んでいるようです。
「はい、ちょっと脈を上げすよ」「今度は下げるので、ちょっと気分が悪くなるよ~」どうもこれはペースメーカーの調整してるのか。
最後に本体を胸の中に埋め込んでいるようです。何やら掻き出すような電気メスの動きを感じたり、何度も「血が止まりにくいなぁ」と言う言葉、続いて血管を焼く電気メスの感触などがします。最後に傷口を縫って手術完了。どうも皮膚の内側で一回、続いて表面を縫い合わせたようでした。

覆われていた布が取り払われ、ようやく周りが見えるようになります。何やら機械を持った技術者のような人が現れ、縫い合わせた傷口の上にパッドのようなものを載せると、パソコンのようなものを覗き込んでいます。また「脈を上げます」「今度は下げます」なんてやってます。どうやらPMの調整をしているようです。
手術台からベッドに移動させられ、左肩から右脇に傷口の上を通るように10㎝程の幅の帯がたすきにかけられ(この病院では伊達巻と呼んでた)、さらに傷口の上には500gの重し(鉄粉入りの袋)が載せられました。

手術室を出たのは21時。通常は2時間ほどの手術と聞いてましたが、3時間かかったことになります。多分リード線の差し込み位置を探すのに時間がかかったからでしょう。
手術室からレントゲン室に直行します。ベッドに寝たまま、正面から1枚、側面から1枚。
多分、レントゲン技師さんもこのために残業なのかな。ご苦労様です。

ようやく病室に戻ります。F医師に呼ばれて顔を出した家内が「ヨッ!」。私も右手を挙げて「オゥ!」(笑)。無線式の心電図計を装着。

看護士さんから「10時になったら食事もとれます」と言われ「お願いします」と。
何せ昼抜きでしたからね、ベッドの背を30度ほど起こしてもらい、小さなおにぎりを3個。何より、家内が買ってきてくれたペットボトルのポカリが美味しい。

さて、家内も帰ってひと眠り。しかし24時ころ目が覚めます。
腰が痛い。考えてみればもう12時間、上向きに寝たままです。紙おむつをつけられたお尻も蒸れて気持ちが悪い。重しを載せられた手術部を動かさないように、下半身だけ捩じってみますが腰の痛みは取れません。これが今回の入院中で一番辛かった。
ナースコールして看護士さんに言うと、すぐに理解してくれて腰に湿布を貼ってくれました。ついでに睡眠薬も貰って飲んだら、朝まで寝る事が出来ました。

手術翌日(5月28日)

朝食は背を90度近く起こしてもらい、ベッドの上でおにぎりとおかず。
その後、F医師と若い先生が現れ、傷口を消毒してくれました。今日一日はトイレなど行っても良いけど、できる限りベッドの上で手術部に重しを載せた状態であおむけに過ごすようにと言う指示です。どうも狭心症のケアで飲んでいたバイアスピリンの影響で、血が止まりにくくなっているのを警戒しているようです。
しばらくして看護士さんが来て、尿管を抜いくれ、そのまま股間にお湯をかけて洗ってくれます。恥ずかしいけど動けないし。紙おむつも取れてようやくすっきりしました。これでトイレに行けます。
傷口の痛みはさほどありませんが、テレビを見たり本を読んだりして、トイレ以外は一日寝て過ごします。夜、寝る前に再び化膿止めの点滴。

2日目(5月29日)

朝、F医師の回診。重しを取っても良いとの事。
まだ、伊達巻はついていますが、これで自由に動けるようになりました。
ちなみにこの伊達巻、どうも本当は左腕を固定するためにつけるのではないかと思いますが(私の後に手術した人は上腕部を括り付けていた)、私の場合、それ以外に傷の圧迫の目的もあるようです。 トイレに行ったり、気晴らしに食堂で本を読んだりして過ごします。 朝と夜に点滴を一本ずつ。

3日目(5月30日)

今日から伊達巻をとっても良いとの事。暑苦しさが無くなって(空気を通さないような材質だったので)ホッとします。ただし左腕は動かすなという指示。
28日に二人退院して、今日また二人入院してきました。またまた、部屋が賑やかになります。いや、本音でいえばうるさいのです。
家内が来たついでにエレベーターで屋上に上がってみます。空を見るだけで気が晴れます。
無線式の心電図計は手術の後から付けっぱなしです。詰所でチェックしている様なので「屋上からも届きますか?」と看護士さんに聞いたら「大丈夫」との事。結構強い電波を出してるのかな。それにしては、発信機はパジャマの胸ポケット、PMのすぐ下に入れてるんだけど。

4日目(5月31日)

傷口の腫れもおさまり、痛みも随分軽くなりました。
またまたうるさくなってきた病室を避けて、食堂で本を読む時間が増えます。もっとも手術の待合室のようになっているので、なかなか入れない時も多いのですが。
一日に何度も看護士さんが現れ、体温や血圧のチェックをするのですが、いつみても脈はドンピシャ70で、今のPMで設定している最低値です。

5日目(6月1日)

昼過ぎにF医師が現れて「しばらくしたらペースメーカーチェックをします」との事。
F医師が居なくなった後に、ペースメーカーの技師2名が来ました。例によって胸の上に機械を置き、パソコンのようなもので調整をはじめました。
それまで最低脈拍を70にしていたものを60に落としたようです(ちなみに私の平常脈拍は60くらい)。他にも何やら調整したようですが、良く判りませんでした。

6日目(6月2日)

退院のための最終検査。心電図を取り、レントゲン撮影。特に問題なしとの事。
本当はしっかり傷口が塞いでからの方が良いのだけれど・・と言いながら、F医師から明日の退院OKの判断が出ました。

7日目(6月3日)

朝食をとって、退院です。
退院に当たっての指示。
・シャワーを浴びるのは良いけれど、1週間は傷口を濡らすな。
・1週間ぐらいすると、傷口に貼ったテープが剥げてくるので、剥げたら風呂もOK
・最初の一ヶ月はリード線が抜けやすいので、左腕は余り動かさないこと。折れているつもりで。
最後にペースメーカー手帳を貰い、ペースメーカーの調整のため一か月後に来院するようにという指示を受けて退院しました。