Todoの独り言です。
最近はブログに書き込むことの方が多いのですが。。。。、

国と国民

2021/6/29

香港国家安全維持法、選挙制度の見直し、リンゴ日報の廃刊。
香港はもう駄目でしょうね。
民主化運動に関わった皆さんは新天地を求めて脱出した方が良いでしょう。
(なんてことを書いてたら、今日、英国に向かおうとしたリンゴ日報の主筆が空港で逮捕されたという記事が出ました)
相手が悪すぎ、大きすぎます。敗退とは思いません。むしろ新たな出発として新天地を目指して頂きたい。
そう思います。

今の香港では「国家の安全」とか「愛国心」とか戦前のどこかの国で聞いたような言葉が並びます。
「選挙制度の見直し」では、公職を目指す立候補者を審査し、候補者が「愛国者」であることを確認する委員会が設けられました。
愛国心は大切です。でも、愛国心を持つことを国が国民に求めてはいけません。
異性に「私を愛さなければいけない」などと言われた日には、薄気味悪くて逃げ出してしまいます。
愛国心は「国民から愛される様になる」という国の責務であり、国民の義務では無いのです。
また、「香港国家安全維持法」の条文を読むと「国家分裂罪」「国家権力転覆罪」「外国又は境外勢力と結託して国家の安全を脅かす罪」などの言葉が並びます。
私がこれを読んで感じるのは国が国民の上にあるという感覚です。

私はこの「国が国民の上にある(支配する)」という感覚が嫌いなのです。
そこがどんな国か(例えば資本・共産・社会主義)よりも、その上下関係が気になるのです。勿論、現実には共産主義国や独裁制は国が国民を支配する事が多いのですが。
出来れば国は国民の足元を支える「地面」であってほしいのです。
現在の日本はそれに近い国だと思いますが、一方で国民に愛国心を求める様な主張も大きくなって来ているように感じます。愛国心を求めるという事は、上位の国が下位の国民に命令していることだなのだと思うのです。

そもそも概念的な「国」と実体の「人(国民)」は次元が異なり上下関係など無いはずです。そこに上下を感じてしまうのは「国」=「国家権力者」になった場合なのでしょうね。
国のリーダー(首相など)は国民と同じ地面に立って、その最前面に立つ人(あるいは最後尾で、全体を見渡しながら進むべき方向を指し示す人)であって欲しいと思うのです。