2001年から書き始めたトドの書評データベースです。
2019年7月に2000冊を越え、今も年100冊程度追加しています。
(書評が無いのは2000年以前の読了本です)


司馬 遼太郎

作成日不明

解説

若い頃の作品はデビュー作の「ペルシャの幻術師」や出世作「梟の城」に代表されるように、伝奇性の高い作品が多いのですが、やがて本格的な歴史小説を次々発表して行きます。そして最終的には小説から離れ、史家・思想家への道を辿りました。

私にとっての司馬遼太郎は、やはり歴史小説作家です。そして司馬氏の作品の特徴は、その鳥瞰性と人物造形の見事さにあると思っています。
戦国・幕末を舞台にした多くの作品がありますが、その登場人物、道三・信長・秀吉・家康・竜馬・晋作などの造形の見事さはどうでしょうか。ひとたび司馬作品を読んだ後、他の作家の違う人物像の作品を読むと「嘘だ!」と思えてしまいます。本当はどうだったか私に判るはずもないのに。それほど説得力があるのです。私はこれを「司馬遼症候群」と呼んでいます。ある意味困った病気のようなものです。何せ他の作家の作品が読めなくなってしまうのですから。
もう一つ、その時代を分析する鳥瞰力も素晴らしいものだと思います。そのために恐らく非常に多くの文献調査やフィールドワークが行われたものと推測します。鳥瞰性と人物造詣--高い視点から歴史を見渡しながら、その中で働く主人公が見事に描写される。それこそ、歴史小説の醍醐味です。

それにしても膨大な作品群です。これらの作品を書くために読まれた文献の量も凄まじいものと想像されます。その結果、独自の史観を得ることになり、それが最終的に小説を離れる原因になっていったのでしょう。

略歴

記   述
1923 大阪府に生まれる。本名;福田定一。
1941 大阪外国語学校蒙古語科入学。
1943 学徒動員で戦車第19連隊に入営。満州の戦車第1連隊に配属された後、栃木県で終戦を迎える。
1946 新日本新聞に入社。2年後に倒産し産業経済新聞社入社、京都支局に配属となる
1956 大阪本社勤務の傍ら短編小説『ペルシャの幻術師』を発表(第8回講談倶楽部賞)
1960 『梟の城』にて第42回直木賞受賞。翌年、産経新聞社退社。執筆活動に専念する。『最後の伊賀者』『上方武士道』
1961-66 (1961)風の武士/戦雲の夢/おお、大砲/果心居士の幻術 (1962)古寺炎上/真説宮本武蔵/風神の門 (1963)花房助兵衛/幕末 (1964)燃えよ剣/新選組血風録/鬼謀の人/尻啖え孫市 (1965)酔って候/功名が辻/城を取る話
1966 『竜馬がゆく』『国盗り物語』にて第14回菊池寛賞受賞。『北斗の人』『俄ー浪華遊侠伝ー』『関が原』
1967-72 (1967)最後の将軍―徳川慶喜/殉死/豊臣家の人々 (1968)夏草の賦/新史・大閤記/王城の護衛者/義経/喧嘩草雲/一夜官女/峠 (1969)歴史を紀行する/日本剣客伝/妖怪/手堀り日本史/歴史と小説/歳月/人斬り以蔵 (1970)日本歴史を点検する/馬上少年過ぐ/華の館(戯曲)(1971)坂の上の雲/世に棲む日々/街道をゆく~/ 日本史探訪~ (1972)城塞/花神/坂の上の雲/日本人と日本文化/日本人と朝鮮文化
1972 『世に棲む日日』で第6回吉川英治文学賞受賞。『覇王の家』
1973-75 (1974)古典と現代/歴史の中の日本/古代日本と朝鮮/歴史と視点―私の雑記帳 (1975)考える愉しさ/播磨灘物語/日本の渡来文化/空海の風景/余話として
1976 『空海の風景』などで第32回芸術院恩賜賞受賞など、数々の賞を受賞。
1977-1986 (1977)木曜島の夜会/天下大乱を生きる (1978)日本人の内と外/日本語と日本人/朝鮮と古代日本文化 (1979)歴史の世界から/項羽と劉邦 (1980)胡蝶の夢/ひとびとの跫音 (1981)軍師二人/菜の花の沖/箱根の坂 (1982)私の美術観 (1983)アメリカ素描 (1984)韃靼疾風録 (1985)この国のかたち (1986)風塵抄
1996 腹部大動脈瘤破裂のため国立大阪病院にて死去。享年72。

▽▽読了作品(2002以降の読了本は書評付き)▽▽