辻内智貴
作成日不明
解説
辻内さんは2005年のインタビューで以下のように言っています。
35、6歳で音楽に挫折して、何もすることがなくなって、ヒマになっちゃったんですよね(笑)。それで本もまたよく読むようになったし。それで、37、8歳くらいに、急に集中的に書き始めたんですよ。どこに持っていくあてもないのに、その時に、2年間で中編を十数本、短編を二十編くらい書きました。
で、そのあとはぱったり書かなくなって。今はその時の財産で食っているようなものなんです(笑)。あの頃の情熱が今もあればいいんですけれど、全然書いていなくって(笑)…。
この時の様子が2012年に出版された『僕はただ青空の下で人生の話をしたいだけ』の中の「阿佐ヶ谷」と言う短編(と言うより詩の様です)にかかれています。
三十代から四十代前半にかけての十年間を
私はこのアパートで過ごした。
西日だけが差し込んでくる二階の四畳の角部屋で、
そのころ私は、何かに憑かれたように、物語を書いていた。
(以下略)
寡作な作家さんです。いや、本当に作家さんと呼んでよいのか。。。
作品はともかく美しい。
”優しく純粋な良い話”であり、もっと言えば”綺麗事”です。
でも、それが突き抜けて嫌味さえも感じさせない。それが魅力の作家さんです。
2001年から2006年にかけて、一連の作品を発表してから沈黙。2012年に前出の『僕はただ青空の下で人生の話をしたいだけ』が出版されました。これまでに無い私小説的な作品であり、やや退廃的で破滅的な色合が強まった気もします。さて、今後はどういう風に変化して行くのでしょう。
いや、それ以前に、次の作品が発表されるのかどうか。。。
略歴
年 | 記 述 |
---|---|
1956 | 福岡県飯塚市で生まれる。 |
1977 | 東京デザイナー学院商業グラフィック科卒業 |
1978 | ビクターレコードからソロシンガーとしてデビュー。以降3年間ビクターレコードに在籍。 その後もライブハウスなどで音楽活動を続ける |
1999 | 「セイジ」が太宰治賞最終候補作に残る。 |
2000 | 「多輝子ちゃん」で太宰治賞を受賞 |
受賞歴
一貫して上記のような特異な作風で書き続けている作家さんです。
その中で『失われた町』や『鼓笛隊の襲来』で直木賞候補になるなど、何度か文学賞候補には上がるのですが、受賞することは難しいと思います。
ですから受賞歴は新人賞だけですが、今後もブレずに書き続けて頂きたいと思います。
作品 | 賞 | 年 |
---|---|---|
多輝子ちゃん ~単行本『青空のルーレット』に所収 |
太宰治賞 | 2000 |
▽▽読了作品(2002以降の読了本は書評付き)▽▽