日曜大工が趣味だった父親の道具を引き継いで。。。
何かを作る為の工夫を考えたり、実際に手を動かしていると
機嫌が良いのです。退職後、ますます加速中。

弁才船河市丸の復元模型3

2018/08-2019/08

前部甲板

いちいち作り方を説明してるととんでもなく長くなりますね。

船首の三角形の甲板は固定式の水密甲板です。その後端には筧(かけい)と言う「レ」を左右反転したような断面をした材が付き、(前の甲板の水を左右に落とす)樋の役を果たします。
その下が二番船梁、三本の根太を渡して三ノ間船梁。この間にも床を貼ります。この上には屋根がかかり、床で2層に分離した二つの船道具入れになります。
三ノ間船梁から後ろは荷室になり、荷室と船道具入れを仕切る壁を三ノ間の上・中・下の梁を使って作ります。柱を立て隔壁を作り、取り外し式の扉(手前に落ちている板)をつけます。

船首の床と船道具入れ。筧や船梁に施した床板や根太の逃がしの細かい加工。

そういう訳で梁には床板の逃がしや根太のホゾ、さらには扉の受けの溝など細かい細工が一杯有ります。
そこで活躍するのが、こうした道具類です。

罫引き~2枚刃ですが今回は1枚しか使いませんでした

右は罫引き(又は毛引き;けびき)と言う大工道具です。本来は、ホゾ穴等の位置を木材上に描くために、板の端から一定寸法の線を引く道具です。
今回は梁に床板の逃がしをつけるのに使いました。そもそも2㎜程度切り込めば良いのですから、この罫引きだけでほとんど加工出来てしまい、ちょっと刃が入らなかったところをカッターで追加工する程度で出来ました。
また厚さ1~2㎜の板を10㎜幅程度に切り出して床板を作るのにも大活躍でした。

自作した彫刻刀(鑿)


左の黒い軸の彫刻刀は自作です。
細いホゾや溝を掘るためには、幅1㎜から3㎜の平たい刃の彫刻刀(鑿)があると便利です。ところが店で見つけたのは結構お高い上に厚刃なので使いにくそうです。考えた末「そういえば金切り鋸の刃って鋼だよな」と思いつきました。必要な長さに折って、グラインダーで削って形を作り、最後に砥石で仕上げる。ホームセンターで半円柱の木材を見つけ、作った刃を両面テープを介して挟み込み、ラケット等の滑り止めに使うテープで巻きつけて出来上がり。
これが予想以上に良く切れまして、大活躍でした。もっとも指先もずいぶん刺してしまいましたが(笑)


次に作るのは三ノ間船梁~淦間船梁~腰当船梁にかけての荷室の床です。
弁才船は安全より経済性を優先した作りでした。もともと沿岸航海用の船なので、いざとなれば港に逃げ込めば良いという考え方なのだと思います。荷室の床も荷の積載のしやすさを重視した取り外し式で、水密性はありません。根太もはめ込み式で取り外すことが出来ます。当時の弁才船を描いた船絵馬を見ると床板も根太も外して、船底から荷物を山のように積み上げる事も多かった様です。

船倉部。

外艫

そと‐ども【外艫】
〘名〙 和船の船尾の戸立より後に構成される艫回りの総称。また、根棚・中棚の末端から知利(ちり)にかけて張る反り上がった艫の外板をいう。戸立背後の流れを整え、舵の効きと速力の増加に役立ったが、大型和船では強度不足で悪天候のとき波浪のため破壊される欠点があり、難船の大きな原因となった。空鞘(そらざや)。空艫(そらども)。
[精選版 日本国語大辞典より]

国語辞典のくせに、妙に詳しい説明ですが。。。(笑)
ここまで作ってきた船尾は戸立と呼ばれる斜めの板までで、ここまでが水密構造。その後ろに外艫と言う舵のカバーが付くのですが、これがどうも構造的に不安定で難物。

まずは外側から覆うような部分的な治具の作成してみます。
スタイロフォーム(建築用断熱材のポリスチレンフォーム)を買ってきて、断面に合わせてカットしたものを貼り合わせた治具を作りましたが上手く行きません。結局これはアイロン成型の冷却用としてのみ使用。

断面図のコピーを貼り付け
切り抜いたものを重ね合わせ
結局は成形用のみ

次に作ったのは硬い段ボール紙で作った内側の治具。これはこれで難物なのです。それなりの強度は必要だし、外板を組んだ後に取り出せるようにしておく必要があるので。しかし作ってみると良さそうなので、こちらで進めることにしました。
まずは上棚を付けて、根棚・中棚をつける。

上棚を付けて
根棚・中棚の端末を合わせ中
接着中。あらゆる手でクランプします
弁才船らしい反り返ったフォルムの外艫

船尾の両脇の縦板の知利(ちり)を彫刻を施した結(むすび)というと板で繋ぎ、前方の梁から伸ばした跳木(はねぎ)という柱に固定して船尾の位置を固めます。
さらに舵の開口部には補強板を追加し、戸立から支える柱を立てます。
あとは釘を打って出来上がり。
所々に大きな釘が有りますが、これは天井等の固定に使用する4㎜幅のステープラー(ホッチキス)の針です。丁度良いので一箱買いました。安いものなのですが一箱5000本、使ったのは100本に満たないので、残りは知り合いの大工さんにでもあげましょうかね。
これで外艫が完成し、弁才船らしい反り返ったフォルムになりました。

とは言え、失敗でした。船尾が左に10㎜近く曲がっているのです。
おそらく段ボール製の治具が船体に対してねじれて付いてしまったのだと思います。外艫部も船体治具と一体で作って居たらこんなことにはならなかったはずと思っても後の祭りです。
(もっとも全て曲面なので気づく人は居ないと思います。)


船室の床

ここから再び中央(腰当船梁)から後ろの船体内部と床作りに戻ります

まずは一番太い腰当船梁の後ろ側に帆柱を立てる仕掛けを作って行きます。
船底に守(もり)という受け台を、さらにその上に筒(つつ)という柱を立てます。
どちらも帆柱に合わせて溝や細かな掘り込みをつけるのですが、帆柱を立ててしまえば全く見えなくなってしまいます。う~~ん、なんだかなぁ。

腰当船梁の後ろの梁は切船梁と呼び、その前には船室の棟を支える二本立という2本の柱が立ちます。
弁才船の特徴の一つが、帆柱が可倒式だという事です。
帆柱は最初に後ろに倒すのですが、この時に切船梁が邪魔になります。なので切船梁の中央部分(二本立の間)は繋がっておらず、それが名前の由来なのです。しかし最初からバラバラに作ると精度や強度が出ないため、一旦は一本通して作成し、最後に二本立の間を切り取るようにして作りました。

完成すると見えなくなるのですけど。まだ切船梁は繋がっています。
切船梁の中央部を取り除いたところ。帆柱はこんな風に倒れます。
船室の床と外艫の内部

腰当船梁から後ろの床を貼り終えたところです。ここが船員たちの居住区の床になるのですが、水平でない上に折れ曲がってるのです。結構住み心地は悪かったでしょうね。

この写真で外艫の内側の構造が良く判ります。
居住区の一番後ろ側、戸立の上端に付く太い梁が床船梁。その中央部には舵の軸を受ける半円形の切り込みが有ります。
その両横に縦に走る柱が跳木(はねぎ)で船尾の知利(ちり)を支えてます。
跳木からは外艫の舵開口部を支える柱(釣木)も付けました。
床船梁の前に飛び出しているのが蝉という滑車です。帆柱先端から降りて来る索をこの蝉を通し、轆轤(ろくろ)を使って帆を引き上げます。


これで一旦船体床下部分は完成です。色んな状態で3枚の写真を。
左の写真が荷室の床と根太をとリ外したところ。これから荷物を積み込もうとしている状態です。右の写真が荷室の床を取り付けた状態です。
帆柱を立てる筒の左舷(船尾から船首に向かって左側)後方の床は、船底や帆柱の受け台の子持などを見られるように透明なプラスチック(写真中)と木製の床(写真右)を差し替え可能にしました。
筒の後ろ側は二本立までは穴は空きっぱなし、その後ろは取り外し可能な床です(写真左と写真右)。帆柱を倒すときは床を外します。
帆柱より後ろは船室の床になりますが、この床下も荷室です。

外れる床はすべて外して・・
一部透明な床(差替え式)
床を全部付けた状態
弁才船の縦断面。船室に下側も荷室です。

次は 垣立/矧付と開の口