藤沢 周平
解説
どうしてもたった一人の作家を選べといわれたら、この人を選ぶ事になります。私にとってはそういう作家さんです。
初期の作品群は藤沢さんらしい優しさはあるのですが、同時にやりきれない暗さを持っています。押しつぶされるような重圧感を持った、逃れられない暗さです。それがある時から(一般に「用心棒日月抄」からと言われています)明るさが見えてきます。良く晴れた日の、初冬の落葉林の中のような明るさです。乾いた軽さのような物が感じられてくるのです。初期の暗い作品も味があって捨てがたいのですが、やはり明るさの有る後期の作品の方が素晴らしいように思います。ただ、最晩年の作品は体の不調もあったのでしょうか、力尽きた感じが否めません。
「密謀」や「市塵」などの歴史小説も書かれていますが、ほとんどが時代小説です。時代小説といっても人情物から娯楽的な剣豪物までかなりのバリエーションがあります。人情物が一番の持ち味とは思いますが、「隠し剣」シリーズなども捨てがたい味があります。
この人の魅力はなんでしょうか。その一つは作品の底流を流れる優しさ、暖かさに有ると思います。特に後半の作品群は暗くても明るくても、どこかホッとさせられるところがあるのです。もう一つは平明で透明感のある文体でしょうか。決して押し付けがましくなく、情景が素直に頭に浮かびます。
おそらく最高傑作は「蝉しぐれ」でしょう。個人的に好きなのは「獄医立花登手控」シリーズです。
是非皆さんに一度は手にとって頂きたい作家さんです。
略歴
年 | 記 述 |
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1927 | 12月26日山形県東田川郡黄金村(のち鶴岡市に編入)に父繁蔵、母たきゑの次男として生まれる。家は農業。 |
1934 | 青龍寺尋常高等小学校(のちに黄金村国民学校に改称)に入学 |
1942 | 黄金村国民学校高等科卒業。山形県立鶴岡中学校夜間部入学 |
1946 | 鶴岡中学校夜間部を卒業し、山形師範学校に入学。同人雑誌「砕氷船」に参加。 |
1949 | 山形師範学校を卒業、山形県西田川郡湯田川村立湯田川中学校へ赴任。担当科目は国語と社会 |
1951 | 集団検診で肺結核が発見され休職。自宅で療養する |
1953 | 右肺上葉切除の手術。静岡の俳誌「海坂」への投句を始める。 |
1957 | 退院、東京都練馬区に住む。業界新聞に就職、その後業界新聞社を転々とする |
1959 | 山形県鶴岡市の三浦悦子と結婚 |
1963 | 読売新聞の短編小説賞に本名で応募するが選外佳作。2月に長女誕生、10月に妻悦子(28歳)死去 |
1965 | 藤沢周平のペンネームを使いはじめる |
1969 | 江戸川区の高澤和子と再婚 |
1971 | 「溟い海」が第38回オール讀物新人賞最終候補、直木賞候補 |
1973 | 「暗殺の年輪」により第69回直木賞受賞。最初の作品集「暗殺の年輪」を文芸春秋より刊行 |
1976 | 「用心棒日月抄」この頃より作品に明るさが見えるようになる |
1979 | 獄医立花登手控えシリーズ開始 |
1985 | 直木三十五賞選考委員になる |
1986 | 代表作「蝉しぐれ」を山形新聞夕刊に掲載 |
1990 | 小説「市塵」により芸術選奨文部大臣賞を受賞 |
1996 | 3月肺炎の為に入院、以後、入退院を繰り返す |
1996 | 1月26日 肺不全で死去 |
海坂藩の地図
藤沢作品の舞台として登場する架空の藩「海坂藩」の城下町の地図を作成してます。こちらをごらん下さい。
▽▽読了作品(2002以降の読了本は書評付き)▽▽